京大文学部一年のHと申します。 私は高校一年の末の頃から京大志望でした。 そして、高校三年生の秋から赤門アカデミーに入塾し、一年の浪人を経て合格しました。   「アレッ?赤門アカデミーは東大対策の塾なのに、なんで京大志望者が入塾してるんだ?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。 東大と京大では、問題の傾向がほぼ正反対ですらあります。 しかし、「論理的に物事を考えられますか?」という一点において、両大学が受験生にもとめているものは同じだと思います。(これは私個人の感想ですが。) 赤門アカデミーでは、学校の先生が教えられない、論理的思考とは何かということをたたき込まれたとおもいます。 この場を借りて先生にお礼を申し上げます。   ところで、私の高校のときの、面談における口癖はなんだと思いますか? 正解は「頑張ります、努力します。」です。私は県内でトップクラスの女子校に通っていました。 私がいた当時、母校では根性論が流行っていました。 高3の夏休み前の面談では一日13時間勉強するよう言われました。 結論から言うと、13時間はムリでした。先生のいうことをクリアできている安心感と、苦しいのに頑張っている自分に酔うことはあっても、京大の合格点に近づいている実感はゼロで、とても苦しかったです。   学校の先生は、多数の生徒を相手にしなければならず、一人一人にあう勉強法を教えたり提案するというより、一人一人の生徒に対し「おまえがこの勉強法にあわせろ」というほかありません。 そういうたぐいの勉強法というのは、先生が自分で考えた最強の勉強法や過去成功した生徒の勉強法だと思いますが、それに合わないことも当然あるのではないでしょうか。 私はその一人でした。そのことでかなりいやな思いをしたので、もし今、成績を伸ばしたくてでも学校や今通っている塾のやりかたでついて行けないと苦しんでいる人がいたら、ぜひ読んでほしいと思います。 そして、私の合格体験記が何かの役にたてば幸いです。 [char no=”1″ char=”東大生講師 T”]Hさんも地方の高校に通っていました。そして他の赤門アカデミーに多いいわゆる「地頭は良いけど、情報やノウハウがないせいで、勉強に遅れが生じていた子」でした。指導を数回して、地頭は良いので、やれば伸びるというのはわかっていましたが、勉強の進みが他の東大京大志望者と比べて遅く、現役で合格できるかどうかというところでした。このように本格的に受験勉強を始めるのが遅くなってしまった人でも、浪人という道を選び結果的に志望校に合格することは可能です。その一例としてHさんの合格体験記を読んでいただけると幸いです。[/char]

赤門にはいるまで

私は中学生のころからわりと学校の先生が好きで、いわゆる優等生でした。たぶん。 時間をかけてノートを作ったり、単語カードを作ったりするのが(頭を使ってないけど勉強をした感じがして)好きで、国語とか社会とか暗記するのには自信がありました。 一方頭を使わないといけない数学は昔からすごく苦手でした。 要するに、効率の悪い方法で勉強していました。時間をかけて勉強するタイプの生徒(私)に、十三時間勉強しろと言いやがったあの先生の言い分は、一見正しいかもしれません。 私は高3の夏まで部活をしていましたし、なにより模試で京大はよくてC、悪くてE判でしたから。 しかし、私はそこまで勉強人間にはなれませんでした。 受験は初めてだったし、人一倍心配屋なだけで頭がいいわけでもない。 手は動かしつつ心のなかで、「こんなに成績わるくて今のままでいいのかな…」と考えてもしょうがないことを延々と考えていたりしました。 「いや、だめだ!もっと勉強しよう!」と思って勉強時間をふやすと、ますます辛くなり、鬱みたいに無気力になって学校をやすんだりしました。 こういうのを本末転倒といいます。当時の私に必要だったのは13時間やみくもに勉強することではなく、もっと効率的で、有効な勉強でした。今振り返るとそう思います。 しかし、当時の私は学校の、力で押せ!みたいな雰囲気が正しいと思っていたため、なかなかそこから抜け出せず、しばらくはそのなかでなんとかしようともがいていました。 具体的には高2から高3の夏の終わりまでです。 受験ムードが濃くなるにつれ、わたしは学校についていけないと明確におもうようになり、塾を探し始めました。他力本願とかではなく、自分では何をどうしたら京大が近づくのかわかりませんでした。 だから、現役の東大生に、一対一で教えてもらえる赤門アカデミーはドンピシャでした。 [char no=”1″ char=”東大生講師 T”] このような根性論を用いて、法外な時間勉強をさせたり、やたら拘束時間を長くしたりする学校は地方にはまだまだたくさんあります。Hさんの学校の場合は、拘束時間は長くはなく、浪人も視野にいれていたので、そのときには開放されるので、悪影響はそこまでありませんでしたが、このようないわゆる「自称進学校」には注意が必要になります。 [/char]

赤門アカデミーにはいってから(高3)

赤門では数学と英語の指導をお願いし、一ヶ月の無料体験をへて、「浪人すれば確実に、現役でも、もしかしたら合格できるかもしれない」ということで10月から正式に入塾しました。 現役のときはハイスコープという学校で使われていた数学のワークを使いました。 学校で一週間に一単元(平面ベクトル、微分など)やるという結構ハードな課題が出ていたので、それにあわせてハイスコープを使って数学の学習を続けられたのはよかったと思いました。 なぜならわたしの場合、家庭教師と学校の板挟みでどちらも中途半端になったりほかの科目の勉強ができなくなってしまう可能性があったからです。 この先生は非現実的な要求はしてこないんだなあと感動したのを覚えています。 [char no=”1″ char=”東大生講師 T”] 基本的に赤門アカデミーでは、数学はまずはじめに「青チャート」もしくは「Focus Gold」を使うのですが、必ずしも全員がそうというわけではありません。Hさんの場合網羅系参考書の問題はある程度定着していたことと、学校でハイスコープの課題が結構な量あったので、指導でもこのハイスコープを使い勉強の負担を軽くしました。このように状況に合わせて臨機応変にカリキュラムを変えいくことが重要です。 [/char] また、英語ではいくつかのワークをこなし、授業中に内職をしつつ英単語、英文法、長文読解の練習をしました。 現役の時、学校の授業が端的に言って聞くに値しないなと思ったわたしは授業中に内職を始めました。 学校の先生に怒られました。 その先生に内職をしている理由を説明すればわかってもらえるんじゃないかと思って先生の説得にかかりましたが、逆に「じゃあおまえは俺になんて言わせたいんだよ」「おれに内職していいって言わせたいのか」と火に油を注ぐ結果に終わりました。 今思い返してもくそむかつきますが、教師だって一人の人間で万能ではないということと、この教師はだめだという失望から自分で何でも考えて決めなくちゃいけないことにようやく気づけたので結果的によかったなと思います。(先生の名誉のために一応言っておきますが、その先生自身は熱心で良い先生です)   過去問をやり始めたのは高3の11月からでした。 じつは赤門アカデミーに入る前から地元の塾で高3の夏休みに過去問演習講座をとっていたのですが、それをやめることを10月に伝えると塾の先生に「おまえに浪人は向いてないから現役でいけるところにいけ」「今この講座をやめるのは自殺行為だ」といわれ、泣きながらそれを聞きました。 三年間そこの授業をとっていたので先生もある程度は心配して言ってくれたのだとは理解できますが、やはりこれも今思い返してもむかつきます。 とはいえ、このときこう言われたことで「自分は向いてないらしいから自分に負荷をかけすぎるような環境をつくるのはやめよう」とおもうようになり、浪人のとき塾選びに慎重になったので、結果的には良かったのかなと思います。 何はともあれ、赤門の先生が指定してくる課題はわたしの実力育成にはちょうど良いレベルで、やりながら学力が伸びていることを感じられるものでした。量が多くてそれはそれは大変でしたが、同時にやりがいを感じてもいました。   そうしてどうにかこうにか数学と格闘しつつセンターと京大の二次を終えました。結果は12点差で不合格でした。 実はこのとき、早稲田大学の文学部には合格していました。 現役で京都大学がだめなら浪人して再チャレンジと思っていましたが、一年受験勉強をしてみてその大変さを痛感し、また浪人は思っているより大変そうだということを調べて知り、「早稲田でも十分じゃないか?」とそちらへの進学も考えました。 不合格がわかってからの何日かは、「浪人しても京大には受からないかもしれないけど、それでも浪人するのか」「若いうちの一年は貴重だし、早稲田でもいいんじゃないか?」ということをずっと考えていました。 そして結果的に浪人を選びました。それはわたしが直前期に自分で納得のいく質と量をそなえた勉強ができず、受験の辛さのあまり逃げて遊んでいたことへの後悔から、「今度こそ成功させたい、成功させられるはずだ」と思い、人生でおそらく一回しかない大学生活は、やっぱり京大で過ごしたいなあと思ったからでした。 また、これまでわたしが学校と元々通っていた塾の先生に啖呵を切って言うことを無視してきたことを思い出すと、「あんだけ啖呵切って反抗しておいて、結局学校の先生が言っていたことが正しかったとかダサすぎん?京大に受かって自分のほうが正しかったと思いたい」という気持ちが強く、もう一年リベンジしたかったというのもあります。 正直学校の先生よりも百倍信じられる赤門の先生が、「Hさんは浪人したら受かるよ。」と割と冷静に言っていたのも浪人をする理由の一つになりました。 [char no=”1″ char=”東大生講師 T”] 文系の東大京大志望者の場合、勉強が遅れていたとしても、早慶などの私立文系に合格することは珍しくありません。そして、浪人前提で勉強を始めた人の中でも、早慶レベルの私文に受かると、浪人という選択をせずに東大、京大を諦めてしまう人が正直多いです。そんな中、Hさんは浪人を選んで結果的に京大に合格ができました。浪人という道はかなり辛いものですが、勉強をすれば伸びる子だというのは最初からわかっていたので、良かったと思います。 [/char]

浪人時代

こうして浪人することを決めたわたしは、地元の浪人生向けの東進衛星予備校に入塾しました。 赤門アカデミーだけにしなかった理由は二つあります。 一つ目の理由は、宅浪はできないと思っていて自習する空間が絶対必要だと思ったから。 その東進衛星予備校は拘束制度というものをやっていて、朝の九時から夜の九時まで合計して10時間勉強しないと帰さないよ、というシステムだったので、現役のとき休日勉強できなかったわたしにぴったりでした。 それに家で全く勉強できない人だったので外に出ようと思いました。 もう一つは友達がほしかったから。急に小学二年生みたいなことを言い始めたと思われるでしょうか。 でも愚痴を言えたりお互いに励まし合える友達は、意外とストレス解消のために必要だと思います。 自分でも自分のことをゲス野郎だと思いますが、わたしは京大に夢中になるあまり高校で頭のいい人としか仲良くしてきませんでした。 学歴で人を判断していたふしがあります。 でも自分が京大に落ちてみて、今の自分じゃだめなんだなと思いました。 学力が高いことと、人間として素晴らしい人かどうかはちがうことに気づき、わたしが勉強に費やしてきた時間を別のことに使った人がどんな強みや弱みをもっているのか知りたくなりました。 つまり、自分が成長するためのヒントが、いままで関わりのなかった人たちのなかにあると思ったということです。 [char no=”1″ char=”東大生講師 T”] 赤門アカデミーでは、オンラインの個別指導という形式上、どうしても自習室や一緒に勉強を頑張れる友達は提供できません。なので、塾生の中には東進さんのような予備校で1,2個講座を取り、自習室を確保したり、コワーキングスペースで自習したりと、何かしら外で勉強する環境を見つけています。特に浪人生は学校がなく、完全に宅浪になってしまうと外のコミュニティーが0の状態になってしまうので、外の環境をどう作っていくかというのが重要になっていきます。 [/char] 浪人生のときは、とにかく数学をなんとか使えるものにするため、赤門の先生に徹底的に指導を受けました。 感想から言わせてください。めちゃくちゃきつかったです!!本当に大変でした。 いつも自分のキャパシティをちょっと超えてくる宿題の量に、何度「鬼か?」と思ったかわかりません。 しかし同時に先生の指導はめちゃくちゃ的確で、やりがいと成長を確かに感じました。また先生はわたしの意見を聞いてくれ、自分のなんとかできると思える量をはるかに超える量の課題が出たり、「この量の宿題がこなせないのはおまえが悪い」という雰囲気を出してくることがなかったので、この先生は信頼できるなあと何度も思いました。 まあ一回サボりすぎて課題が全然こなせなかったことがあり、そのとき先生に言われた「進みがいくら何でもおそい」という言葉はめちゃくちゃ刺さりました。(泣きました) [char no=”1″ char=”東大生講師 T”] 現役時の不合格の要因はやはり数学の勉強の遅れでした。英語と国語はかなり得意で、社会は英数ほどは勉強時間は必要ではありません。また数学は一問の配点も大きく、ちょっとしたミスで大きく点数を失います。とにかく浪人時は数学の勉強の遅れを取り戻し、なんとか大失敗しない合格点まで持っていくことが至上命題でした。現役時代はハイスコープを学校に合わせて使っていましたが、浪人時は青チャートと一対一対応を同時並行で使い穴を徹底的になくすという勉強をしてもらいました。正直かなり大変だったと思います。(普通は皆さん青チャートを終えてから一対一対応をやるので…)思うように勉強が進まないときもあったかと思いますが、よく頑張ってついてきてくれたと思います。 [/char] コロナ禍の関係で5月中は家庭学習だったのですが、わたしはそこではあまり勉強できませんでした。 めちゃくちゃお恥ずかしいことに、とにかく毎日自分と戦って負けていました。 それでも6月にはなんとか塾に通えるようになり、勉強時間が増えました。 東進衛星予備校では数学の真髄と林修の国語と世界史をとりつつ、赤門で出された宿題をこなす日々でした。 毎日同じところで勉強し続けるだけのわりと単調な日々で、飽きたり疲れたりしましたが、週一回赤門があったのでサボり癖がつくことはなかったです。 6月、7月は「今数学を勉強することが合格のためには必要だ、だから毎日地味でも耐えよう。」と思っていました。 そのときは結構病んでいましたが、夏の京大模試では初めてB判定をとることができ、京大合格が近づいていると感じられ、とてもうれしかったのをおぼえています。   ところで、浪人生の方だったらわかると思うのですが、学校や塾ってやたらとセンター試験、共通テストに本気になりませんか? なぜそうなのか私には全くわかりません。 何か事情があるんでしょうか。 わたしからすると、一番の本番は第一志望の個別試験なので、せっかく応援してくれるならそっちにしてよと思います。 わたしは現役の時、学校のセンター試験のピリピリした雰囲気にあてられてセンター試験に全力になっていました。 そしてセンター試験が終わると特別時間割になり、私立や推薦組が進路を決めてどんどん緩んでいく雰囲気にこれまた流されて、センター直前の時のようにガツガツ勉強しなくなっていました。 自分でもそら落ちるわと思ったので、同じ過ちを繰り返すまいと直前期は一番気を遣いました。 まず一番のピークが国立二次になるように、共テ前のピリピリした雰囲気に流され過ぎないよう意識したり、とにかく自分のペースで結果を出せるように行動していました。 共テ当日は、心のなかで「早く問題よこせやァ!こちとら一年待ってたんだよォ!」とめちゃくちゃオラついていました。 ちなみに結果は85%でした。共テが終わったその日に自己採点をして、夜に赤門の先生に面談してもらい今後の作戦を立てたのですが、これはめちゃくちゃ心強かったです。 そして共テが終わった後、ここからが本番だ!と思い体調管理と勉強に全力を尽くしました。 京都に持って行くものをメモしたり、京都で何を勉強しようかシュミレーションしたりして、なるべく万全で挑めるように調整しました。 国立二次の本番では、やっぱりめちゃくちゃ攻撃的な気分になっていたので解答用紙を配る試験監督の先生をじっと見つめ、「私を合格させなかったら京大はセンスない」と心のなかで思っていました。 そして迎えた合格発表の日。人生で一番心臓がバクバクしました。私の受験番号はありました。自分の番号を見つけたとき、本当にうれしかったです。 [char no=”1″ char=”東大生講師 T”] 東大と京大では、二次と共通テストの配点の比率は4:1です。多くの学校や受験生はかなり共通テスト対策に熱を入れる傾向にありますが、東大、京大では普段は二次試験の対策を徹底的にやることが重要です。また、二次試験に普段照準を合わせておけば、1,2ヶ月マークの演習をしただけで共通テストは十分対策できるのです。(逆は難しいですが…)Hさんがそうならなかったように一次の段階であまり焦ったり、失敗しても落ち込んだりしすぎないことが大切です。 とにかく京大に合格できて本当に良かったと思います。 [/char]]]>

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